欧米は一般にマルシェと呼ばれるファーマーズマーケットが各地で開催されて賑わっています。
一流料理人から一般の方まで、新鮮で質の良い農産物を求めて多くの人が買いに向かいます。
日本でも東京や大阪、茨城でもつくばなどでマルシェが開催されています。
私たちもつくばのマルシェに参加したりしながら、いつかはファーマーズマーケットを自ら開催したい、そんな希望を抱いていました。
その土地でできたものは、地元産ということで愛着がわくものです。
さらに、長距離の輸送が無い分新鮮で、輸送による環境負荷も少ないというメリットがあります。
日本ではほとんどの養豚家は豚を育てるのみで、豚肉を販売する事はありません。
しかし私たちはこれまで農協や食肉市場ではなく、直接ご家庭に梅山豚肉を届けてきました。
それは梅山豚が世界一の多産系豚で未熟児が多く産まれ、育てる事が難しくどうしても生産コストが高くなること、さらに品種改良が進んでいない原種豚のため食肉にした際の歩留まりが悪くコスト高になってしまうこと、そういった説明をして理解してくださる方にしか販売できないのです。
一種の訳アリ商品でもある梅山豚、そんな訳を聞いていただきたいし知っていただきたい。
こうした思いを実現する場が「あおぞら市」です。
第1回は2018年3月、先ずは地元境町の方々に向けて始めました。
小さな新聞折込広告を見て集まっていただいた方は100名ほど。
10時の開店2時間前から並んでいただいた方もいて用意した梅山豚肉2頭分はたった1時間で完売しました。
売り切れなかったらどうしようなどという心配も杞憂となり、「また開催してね」 というお声を多数いただき笑顔になりました。
それから第2回、第3回、第4回、第5回と会を重ねています。
将来は他の農家さんと組んだファーマーズマーケットを開催できればと思っています。
米や野菜やハーブなどと共に梅山豚を販売するのです。
農家が農協や市場以外に販路を持つという事は、経営の安定にもなりますが、何よりやりがいを感じるものです。
人に求められるのを実感した時、さらに私たちはモノづくりに打ち込めるようになるのです。
個人から農業生産法人への移行を終えて、社長の昇はホッとする間もなく動き始めました。
法人化のための資金を銀行に頼ったため自己資本が少なく、経営は安定しているとは言えませんでした。
社長個人が資本金を出すにも限界があります。
そこで昇は、以前働いていたベンチャーファンドの経験を活かして、出資を募る事にしました。
現在は政府系、銀行系、事業会社系と様々な農業ファンドが立ち上がり、日本中の有力な農業法人に出資し支援をしています。
そこでいくつかの農業ファンドに接触し出資を打診してみましたが、最初は良い感触をもらえませんでした。
農業ファンドが難色を示したのは、塚原ファーム(生産)と塚原牧場(販売)の関係でした。
それぞれが別の株主構成となっていて、資本関係が無かったため一つのグループとは見なしにくいという判断でした。
そこで、株式交換という方法で塚原ファームを親会社として塚原牧場を子会社としたグループ構成に再編を行いました。
こうして農業ファンドが出資しやすい形ができたのです。
農業ファンドとは様々な交渉を行いました。
先ずは事業計画の具体性が厳しく審査されました。
たった100頭の梅山豚でどのように利益成長をするのか。
これは長年私達の経営テーマでもあります。
さらに、その利益成長に沿って将来の企業価値をいくらにするのか。
そして何パーセントの株式をファンドに割り当てるのか。
パーセントによっては経営権も渡すことになります。
様々交渉を重ねた結果2017年12月銀行系のSMBCアグリファンドからの出資を受けることにしました。
同ファンドが梅山豚のこれからの可能性を最も高く評価してくれたからです。
資本が充実し、信用力も高まり、新たな形でリセットされた塚原グループですが、器ができても魂を入れていくのはこれから
です。
目指している理想は、自給飼料で育てた梅山豚を、1頭残らず自らの顧客(ファン)に販売して行くこと、
つまり究極のファンマーケティングです。
日本の養豚家がいまだ実現できない新しい形を目指して、ファンと共に進んで行くと決心したのです。
このまま自分にもしものことがあった場合、梅山豚はどうなるんだろう?
働くスタッフの雇用は守れるのか?
人間ですから永遠の命というのはありません。
既に50歳となり、昇は残りの人生を考え、退院したらやることを考えながら入院生活を送っていました。
その一つは、これまでどうしてもできなかった農業生産法人を設立し移行することでした。
実は梅山豚の生産は1989年の直輸入以来、昇の父が個人として行う養豚業のままでした。
当時父は76歳、既に畜産の現場からは引退していました。
養豚業としては規模が小さいとはいえ、梅山豚とその子豚、畜舎、付帯設備を合わせると大金になるため、農業生産法人を設立して移行するには応援してくれる銀行が現れないとできませんでした。
退院の日から銀行数行と交渉を行い、2016年3月遂にその日は来ました。
応援してくれる銀行が現れたのです。
こうして農業生産法人株式会社塚原ファームは梅山豚と畜舎とその付帯設備を父から譲受け誕生したのです。
これにより働くスタッフの雇用を守り、梅山豚を遺していく基盤ができました。
生産を塚原ファームが行い、販売を塚原牧場が担う体制です。
父や昇にもしものことがあっても会社として事業を継続できるよう、そんな思いから長年夢に描いてきたことでした。
美味しくて安全な梅山豚を生産し多くの人を幸せにし続けて行きたい。
社長として昇の信念が結実した瞬間でもありました。
これで農業生産法人は設立できたわけですが、そこに魂を入れるのはこれから。
一歩一歩たゆまぬ努力を続けながらファンを増やしていく、そんな決心を改めてしたのです。
農業生産法人株式会社塚原ファームは梅山豚を中心に、その飼料作物の栽培にも取り組んで行きます。
トウモロコシ、米、大麦、小麦、大豆など梅山豚に欠かせない飼料作物を自給し、そこに梅山豚の堆肥を利用する、この究極な循環農業を目指して進むことになります。
それは突然の出来事でした。
2015年12月15日、昇は毎週火曜日の梅山豚出荷を終え、スタッフと昼食をとっていました。
その日は友人から贈られた大好物の牡蠣を蒸して食べる楽しい昼食でした。
食べ終えた直後、昇は猛烈な寒気に襲われ立っていられなくなりました。
熱は40℃を超え激しい背中の痛みで歩けないほどでした。
スタッフが近くの総合病院に運び救急外来で検査をし、即入院となりました。
病名は「連鎖球菌による感染性脊髄炎」、血液検査では命の危険もあるほど細菌感染を
示す数値が上がっていました。
発病前の1週間、昇は多忙を極めていました。
関東東北豪雨で被害に遭ったトウモロコシをたった一人で刈り払いし処分しました。
その後に大阪出張、一旦茨城に戻ってから、今度は東京から北海道に出張して
戻った直後でした。
疲労から知らず知らずのうちに免疫力が下がっていたのでしょう。
24時間抗生物質の点滴に繋がれ、寝返りも打てないほどの背中の激痛と闘いながらの36日間、
クリスマスも年越し蕎麦もお節料理も病院でいただく事になるとは・・・
そして、昇のいない牧場は不安な日々を過ごしていました。
それは、梅山豚の出荷選定を必ず昇が行っていたからです。
実は牧場で育てられた豚が全て梅山豚として出荷されるわけではありません。
肺炎を患って痩せてしまったり、脚を骨折していて左右が対称になっていなかったり、
ばい菌が入って化膿してしまった部分があったり等々、
梅山豚として出荷できない豚も若干あります。
梅山豚の品質を見極める事はまだ昇にしかできず、
選定を誤るとお得意様からのクレームにもつながりかねません。
その不安は的中しました。
退院後、自宅療養していた昇はお取引先のシェフから直接電話を受けました。
「最近梅山豚肉がバラバラですよ。特に今週の肉は良くなかった。」
その直後3カ月ぶりに牧場に入った昇は実際の梅山豚を見て目を疑います。
梅山豚としてはふさわしくないものが数多く残っていたのです。
そこから出荷選定をやり直し、元の状態に戻す作業が続きました。
品質の良い梅山豚を届け続けることの難しさを昇もスタッフも感じた3ヵ月でした。
関東東北豪雨は初めて栽培した飼料用トウモロコシを全滅させましたが、
実はそれ以外にさらに大きな被害がありました。
豪雨の9月9日は梅山豚の屠畜日でした。
その夜、鬼怒川沿いの契約屠畜場の冷蔵庫には既に屠畜された梅山豚が
お肉になって保管されていました。
翌日一報が入り、事の重大さに声も出ませんでした。
鬼怒川が越水し屠畜場の冷蔵庫まで泥水が浸入、
梅山豚の枝肉が全て浸かってしまったのです。
合計16頭、およそ1,000kgの梅山豚肉は廃棄処せざるを得ない事態になっていました。
そこからが大変でした。
梅山豚は予約注文をいただいてから屠畜しています。
ということは、予約をいただいている分は全て納品できないという事。
スタッフがお取引先の百貨店やレストランに順に電話で事情を説明し謝罪しました。
幸い皆さん状況を理解いただき、逆に心配をいただくほどでした。
この時ばかりはお取引先の心遣いに胸が熱くなりました。
しかし、泥の浸かった屠畜場がいつ復旧するのか?すぐには目途が立ちませんでした。
すぐにでも再予約の注文を取りたいけど屠畜できないことには・・・・。
やきもきしているところに近隣の別の屠畜場で代替していただけるという話が決まり、
翌週にはキャンセルさせていただいた分も含めて屠畜ができ、
無事に梅山豚肉を納品する事ができました。
トウモロコシと梅山豚肉のダブルパンチに見舞われた豪雨災害、
損害はとても大きかったけれど、改めてお取引先との絆が深まった瞬間ともなりました。
「他では代替できないものだから」という言葉にどれほど励まされたことでしょう。
また、皆様からも温かい励ましを多数いただきました。
こんなにもファンに支えられているのだという事を感じた昇は、
もっと美味しい梅山豚で皆さんにお返ししようと決心するのでした。
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