2018年9月それは突然の出来事でした。
1992年以来26年ぶりに日本で豚熱(旧名:豚コレラ)が発生したのです。
岐阜県の養豚家にウイルスはどうやって侵入したのか?発生直後から殺処分と疫学的調査が始まりました。
しかしその後も瞬く間に感染は増え続け、岐阜県、愛知県、大阪府、長野県、三重県、福井県、埼玉県、山梨県、沖縄県の1府8県にまで拡大し、1年余りの間に97農場4屠畜場で16万頭余りの豚が殺処分となり、その後も感染拡大は止まりそうにありませんでした。
2019年の9月には遂に隣接する埼玉県で発生しました。
梅山豚は茨城県の西部、つまり最も埼玉県に近い地域であり、私達の緊張感は最高潮に達しました。
豚熱は指定伝染病のため、発生するとその農場の豚は全て殺処分となります。
一般の養豚家のように種豚を購入してそれを交配させて子豚を肥育して出荷する場合は、仮に殺処分されても再開の可能性はあります。
しかし私達は梅山豚を殺処分されたら、新たに購入できないので梅山豚の農場としては継続することができなくなるという危機的状況でした。
豚熱を防ぐにはワクチンが一番ですが、国は豚肉の輸出入を理由にワクチン接種に消極的でした。
ワクチンを接種した国の豚肉は輸出を認められなくなるためです。
結果的に被害を拡大させてしまいました。
しかし2020年1月、国は遂にワクチン接種を承認しました。
埼玉県の近隣の群馬県と茨城県は日本有数の養豚の盛んな県で、首都圏の台所を支えているからです。
私達も2月にワクチンを接種し、イノシシ等の侵入を防ぐ防御塀を作りました。
これで豚熱への備えは整ったわけです。
しかしながら、世界では新型の豚熱(アフリカ豚熱)が猛威をふるっています。
未だワクチンが開発されていない新型の豚熱はアフリカで発生し、ヨーロッパからアジアへ広がりました。
中国では全飼育頭数の40%に相当する1億頭以上が死亡ないし殺処分されたようです。
ウイルスとの闘いはまだまだ続きます。
安全に梅山豚を飼育し続ける事の難しさを噛みしめながらも、命に向き合い続けると覚悟するのです。
皆様にはお元気に新春をお迎えいただけていますでしょうか。
2020年は誰にとっても新型コロナウイルスに翻弄された忘れられない1年になったことでしょう。
緊急事態宣言が出された4月から5月、日本中を重苦しい緊張感が覆いました。
多くの飲食店や旅館・ホテルなどの観光産業は苦境に立たされ辛い思いをしました。
その後、経済を好転させようとした施策により人々の行動が激しくなるにつれ感染の再拡大に直面しています。
ウイルスとの闘いはおよそ初めての経験になる人ばかり、世界中がパンデミックの中を試行錯誤しています。
ウイルスとの闘いは実は畜産業界では既に以前から起きています。
一昨年以来豚熱というウイルスにより廃業を余儀なくされた養豚家が多くいます。
鳥インフルエンザも猛威を振るっています。人類のグローバル化によりウイルスの広まりは早くなり被害も大きくなり、ここに来て立ち止まってグローバル化を見直す動きも出るほどウイルスとの闘いは厄介なものになっています。
梅山豚にももちろん影響があります。
お取引先の飲食店では、閉店した店もあります。
休業している店もあります。
そして三密を避けるためにほとんどの店がご注文は少なめになっています。
そんな中ですが、皆様に支えられ何とか新年を迎えられます。
本当に感謝しかありません。
そもそも梅山豚は販売先が市場しかないところから始まりました。
しかし体型の悪い梅山豚は「上物」になる事は無く、「規格外」という格付になり安値で取引されていました。
未熟児のため育てるのが難しく成長も遅い梅山豚は、皆様に支えていただき継続する事ができたのです。
そして今、飲食店の苦しさと共に再び以前のように販売先に困る状況になっています。
しかし、うつむいてばかりはいられません。
当時売れない苦境を脱したように、再び挑戦する時だと感じています。
私達はこれからも愚直に梅山豚を中心として国産飼料の生産や、地元貢献などに活動領域を広げ、未来の農業を担う人材を積極的に採用し、さらに美味しい梅山豚をお届けできるようスタッフ一同努力していきます。
梅山豚を通じて『食』と『農』と『環境』という分野の新しい時代に挑戦し続けていく私たちを2021年もどうぞよろしくお願いします。
2021年 1月
株式会社 塚原牧場
代表取締役 塚原 昇
エイプリールフールの2019年4月1日月曜日、社長の昇は朝から激しい背中の痛みに襲われてベッドから立ち上がることができませんでした。
前日の日曜日は終日元気に農場で働いていました。
インフルエンザかもしれないと考え、翌日検査に行こうと安静にしていました。
しかし夜になっても翌朝も激しい痛みと39℃以上の高熱はおさまらず、病院に行きました。
3年前に入院していたこともあり、すぐに血液検査やCT検査をしました。
結果、再び「連鎖球菌による感染性脊髄炎」とわかり緊急入院となりました。
2度目の入院は1度目より症状が重かったため、最初の10日間はベッドから降りる事すらできませんでした。
苦しい入院は36日間を数え、連鎖球菌による炎症も完全に無くなり退院した時には体重は10kgも減っていました。
今回の入院では、農場スタッフのモチベーションが大きく下がりました。
スタッフが少なくなったところで社長が入院し、さらにスタッフへの作業のしわ寄せは増えました。
社長のいない農場の成績は下がり、赤字体質に突入して行きました。
そんな空気を察知し 、昇は大きな業務改革を行おうと病院のベッドで準備をしていました。
退院してから約1ヵ月自宅療養しリハビリをして、その後現場復帰しました。
規模縮小を伴う業務改革を発表すると、スタッフからさらに不満が出て退職者が相次ぎ入院前5名いた農場スタッフは結局1名となってしまいました。
しかし、賛同して残ってくれたスタッフと業務改革にまい進しました。
規模を縮小し、離乳舎を移動して作業に伴う動線を短くし業務効率を向上させました。
その結果成績は徐々に持ち直し、農場は落着きを取り戻しました。
2度も命の危険にさらされながら、後遺症も無く復活できたことは奇跡としか言いようがありません。
何かを成し遂げるために神からもらった命と感じるようになりました。
梅山豚を苦しめ続けている連鎖球菌、大切なスタッフと梅山豚を菌から護るため真剣に菌の撲滅に乗り出しました。
時は「平成」から「令和」に変わる節目の時をベッドの上で過ごした昇、この入院は一生忘れられない事になりそうです。
私達は東日本大震災直後イーアスつくばに直営店を出店していました。
震災後の自粛ムードにより、梅山豚の販売に苦戦していました。
何かを変えなければと、イートインを併設した販売店を出店し、週替わりの梅山豚メニューを提供したのが好評で、初めての直営店は大盛況でした。
しかし梅山豚の生産が手薄になり組織がギクシャクしてしまって8週間で閉店となりました。
ほろ苦い結果となった初めての直営店でしたが、いつかは再び店を出したいという気持ちをずっと持っていました。
あれから8年、遂にその時がやってきました。
地元境町で焼き立てパン屋さんが閉店し、そこが空いたままになっていました。
牧場からは車で2分ほど、歩いても行ける境町の中心地です。
社内で様々検討を重ね、メンチカツのテイクアウト店としてオープンする事にしました。
なぜメンチカツなのか?
それはお取引先の引き合いが強い「ロース肉」や「バラ肉」ではなく「ウデ肉」を使えること、ハンバーグとは違って牛肉を合わせなくても、梅山豚の美味しさをダイレクトに味わってもらえる事からメンチカツになりました。
メンチカツはお取引先でもある東京の人気居酒屋「赤坂まるしげ」さんにレシピを提供いただき、粗挽きの肉汁溢れるメンチカツができました。
お店のロゴや内装外装は地元の若手クリエイター「NUVWORKS」さんにお願いし、素敵なお店も出来上がりました。
そして2019年1月29日つかはら肉店は開店しました。
紆余曲折があった直営店を再び出店するにあたって、昇は誓います。今回はつくばのお店のように8週間で閉店にならないように。
そして最初は売れなくても永く愛される店にしようと。
宣伝もせず、チラシも入れず、お花も飾らず、ひっそりと開店した直営店。しかし店に込める想いは並々ならぬものでした。
唯一の直営店には全ての商品を買えるように冷凍ショーケースを並べました。
来店される一人一人のお客様を大切に、そして繰り返し来店されるファンが増えますようにと願いながらゆっくりゆっくりスタートしました。
しかし、まだこの時は新たな悲劇がおきようとはスタッフ一同予想だにしていませんでした。
梅山豚はこれまでいくつものテレビ取材を受けてきました。
旅番組や料理番組からバラエティ番組まで様々出演してきました。お取引先の料理人の方が梅山豚を使った料理として紹介してくださったことも多くありました。
料理番組の中でも宮川大輔さんがMCを務める日本テレビの人気番組「満天☆青空レストラン」、農家であればきっと誰もが出演したい憧れの番組です。
大輔さんの「うま~い」の一言が多くの生産者と視聴者を結び付けて来て10年目に入るという長寿番組です。
実はこれまで幾度となく番組からは「候補に挙がっています」と取材の可否の問い合わせが来ていましたが、最終的には「別の食材に決まりました」 という結論で取材は無くなり、この番組とは縁が無いのかなと諦めかけていました。
2018年3月に取材の可否の連絡が入った際にも、またきっと今回も・・・と半ば諦めていました。食材の取材は、特に魚などは天候に左右されますし、果物や野菜も旬のものを特集します。
豚肉には旬があまりなく、いつでも撮影できると考えられていたようです。
しかし、遂にその日がやって来たのです。記念すべき450回目の放送という事で撮影にも熱が入っているようでした。
3日間にわたり、農場の梅山豚の様子や餌工場の原料、そして塚原牧場スタッフによる梅山豚料理の風景を事前に撮影しました。
しかしなぜか最後までゲストが誰なのか教えてもらえませんでした。
そして本番当日に入り向こうから大輔さんと歩いてきたのは、なんと嵐の二宮さん!そうニノでした!スーパーアイドルのニノという事で、トラブルを防ぐため私達にも知らせなかったようです。
牧場のスタッフもニノがやって来たことで皆ソワソワ、そしてニコニコ。
放送後は凄い反応で何人ものニノファンがうちを突然訪れ、改めてスーパーアイドルの影響力を感じました。
撮影はとっても和やかに進みました。
手作りの肉饅頭などの梅山豚料理はとっても美味しくできて、ニノにも大輔さんにも喜んでいただく事ができました。
今でもあの興奮が蘇ってくる忘れられないテレビ出演になりました。
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